賢い人の分散投資−結びに

  

結びに

無差別な分散投資で得られるのは人並みな実績である。人並みとはいっても、利益が確保されるとは限らない。バブルの崩壊時期などには、人並みに大きな損失を被ることになる。無差別分散投資は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という方式であり、賢い人が採用すべき方法ではない。銃の乱射が、その周囲の人に対して物騒であるのと同様に、無差別分散投資は、家族や周囲の人に迷惑をかける可能性がある。せっかく自分の大切な資金を運用しているのにもかかわらず、それに見合った利益を得ていないとしたらもったいない話でもある。

昔から、日本の個人投資家が、ある種の投資に熱をあげるようになると、その相場は過熱のピークに達し、あとは下落相場が待っていることが多いと言われる。これは個人投資家が損失を被った分、恐らく誰か他の人が利益を得ている人がいるということを意味する。現在の価格水準が高い水準にあるのか、あるいは低い水準にあるのかを理解して行動しない人は、理解して行動する人に余分な利益を提供することになる。

  

近年、日本の労働人口が減少し、日本経済の成長率が伸び悩む中で、日本株に投資をしようとする人が減少している。魅力が低下した一番の要因は、日本経済の低成長率によるものと考えている人が多い。しかし、ここまでの内容を理解して頂いたなら、この論理にも違和感を覚えるはずだ。

国のGDP成長率と企業の利益の伸び率は同じではない。まして、1株あたりの利益の伸び率も異なる。日本のGDPではなく、外国のGDPの伸びに貢献しつつ、伸びている日本企業も中にはあるのだから、たとえ、日本のGDPが伸びなくとも、株価が上昇し続ける株式も、それを見つけるのは簡単ではないかもしれないが、きっとあるだろう。

  

わが国では、資産運用と聞いただけで、何かうさん臭い話だと思う人たちがいまだに多い。勤勉さを重んじる国民性が関係しているのだろうか、資産運用をばくちと同列に考えて敬遠している。ところが、このような人たちに限って、自分の身近に何かもうけ話が持ち込まれると、コロリと騙されたりもする。この両方ともが同じ理由に基づくものであって、日本人の多くが、資産運用を科学的に考えたり、論理的に理解したりする努力を怠ってきたためと考えられる。ある種の投資をした場合に、利益が出る確率がどの位で損をする確率がどの位なのか、平均的にどの位の利益が期待できるのかといったことを考えた上で投資をしているわけではないことに原因がある。よく理解できないまま、それでも資産運用で人並みにもうけたいという人たちが飛びつくのが闇雲な分散投資である。

金融庁をはじめとして、金融の専門家で分散投資が大事だと語る人が多いが、どのような分散投資が大事なのかということまでは語ってくれない。単なる分散投資の行きつく先に待っているのは、賢い人と賢くない人をすべて含めた平均的な成績に過ぎない。これでは、ある意味で無責任な指針となる。もう一歩考えを進めて、どのような分散投資が大事なのか、どの程度の分散投資が大事なのか、どのような種類の先が分散投資の先として適切なのかということを述べて初めて一般の人に指針と言えるものを示したことになる。

現状では、単に分散投資が大事だと語る専門家ばかりなので、資産運用で何が大事かと問われた際に、近年では、一般の人で、「よい投資対象を見つけること」というのではなく、「分散投資」と答える人が増えている。このような声を聞くと、この人は、将来性のある よい投資対象を見極めようとしていないのではないかと心配になる。ひとりふたりなら、まだ見過ごせるが、このような発言を聞く機会が増えていることから、よい投資対象を見つけたり、悪い投資対象を避けたりする努力を怠る人が増えつつあるように思う。投資先の良し悪しを見ようとしない人々が見ているのは価格だけである。このように、実態の良し悪しを見ることなく、株価や為替などの毎日の値動きだけに基づいて、売買を繰り返すのが資産運用だと考えている人たちが増えている。そして、価格変動の大きな投資先の方が設けるチャンスが多いと考えて、投機的な取引を繰り返して、せっかくの資産を失う人があまりにも多いことは、先進国として恥ずかしい限りである。

その一方で、資産運用と聞くと、損をするのではないかと身構える人が増える傾向も見られる。金融広報中央委員会の調査によると、資産運用で元本が保証された金融商品を選ぶ人が圧倒的に多く、元本の保証されていない株式や投資信託で運用する人の割合は、約40年にわたって少しも増えていない。政府は「貯蓄から投資へ」の流れを促進させようとしてきたが、現実にそのような傾向は生じていない。

このように、現在のわが国では、預貯金のような保守的な運用をする人と、投機的な短期運用をする人との二極分化が進んでいる。資産運用というと、短期的な視野に立った方法がマスコミなどで取り上げられる機会が多いということの影響もあるように思われるが、一般の良識ある人々が本当の資産運用から身を引く傾向がみられるのは誠に残念なことである。

本当の資産運用はこれら両者の中間にあり、預貯金のような元本保証の商品ばかりではなく、収益性のより高い商品にも上手に投資をしていくことである。本当の資産運用は、そんなに難しいものではない。ETFを利用して誰にでも簡単にできる。しかも、短期の売買を繰り返す必要はなく、単純で手間のかからないものである。最初によい投資対象を見つけて納得するまでには、ある程度の時間を要するかもしれないが、いったん、よい投資対象を見つけて投資をしたら、そのまま放置しておいてよい。自分の投資した先についての情報には注意を払い、何か当初予想しなかった実態面での変化を見つけた時には、必要に応じて行動を取ることになる可能性があるが、日々の価格を見て一喜一憂する必要はない。

  

本稿を読んだ方が、一般に理解されている分散投資は少しも頭を使った方法ではないということに気がつき、そこから抜け出してほしいと思う。様々なレベルの分散投資がある中で、わが国では、一般個人投資家の多くが、何に分散すべきか、どの程度まで分散すべきかといった、分散対象に対するしっかりとした基準を持っていない。この結果、分散投資の名のもとに、リスクの高い資産を含めた、最も広範囲な、最もノウハウを必要としない低レベルの分散投資が行なわれている。しかし、国内外の投資家がこれまでに犯してきた過ちを教訓とすれば、同じ分散投資でも、もう少し賢い分散投資をすることができるようになるはずだ。

金融機関は、個人投資家向けに販売する金融商品について、節度をもって、よい投資先に絞り込もうとはしない。様々なニーズがありうるという口実のもとで、ともすれば、分散投資の対象に本質的なリスクが高い先を盛り込んで、手数料の多く稼げる商品を販売しようとする傾向が見られる。冒頭にもふれたように、金融機関の営業担当者が積極的に勧める商品に繰り返し投資をしているうちに、資産が増えるのではなく、減っていくという経験を持っている人が多いのではないだろうか。賢い投資家であれば推測できるように、金融機関の営業担当者がわざわざ勧めに来る商品は、その営業担当者がノルマとして販売目標を達成しなければならない商品である可能性が高い。そして、その種の商品というものは、売り手にとって手数料がたくさん稼げる商品であったり、投資家にとってあまり将来性のない商品であったりすることが多い。このような商品の販売にあたっては、「分散投資」という言葉が上手に利用されがちである。したがって、個人投資家は営業担当者のセールストークに乗せられることなく、自分で賢明な分散投資の基準を持つようにしなければならない。金融機関の営業担当者の話を聞いていると、自分よりも金融に詳しそうに思うかもしれないが、それは現在から過去のことであって、半年以上先のことを真剣に考えている人は残念ながらほとんどいない。まして、中長期的な将来の方向感を理解しながら、上手な分散投資を実践している人は稀有である。

資産運用は、サイコロのような運任せのゲームではなく、美しい科学である。ただし、考慮すべき要素の多い複雑系の科学であり、簡単にマスターできると侮ってはならない奥の深い科学である。一方で、それぞれの人の理解が深まれば、それに見合っただけの報酬が得られる楽しい科学でもある。

本稿を読んだ方のうち、少しでも多くの方々が、資産運用をするにあたって直観に頼った無差別分散投資をするのではなく、まず正しい無差別分散投資を理解し、さらに、好ましくない先をできるだけ避けて、投資対象を正しい基準で絞り込んだ選択的分散投資をするように心がけて頂きたいと願っている。

  
   
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